浅谈日本茶道流派的现状-以里千家为例

本科毕业设计(论文)

论文题目:浅谈日本茶道流派的现状

——以里千家为例

日本における茶道流派の現状について

——裏千家を中心に

系 所: 日语系

专 业:

学生姓名:

学生学号:

指导教师:

导师职称:

完成日期: 2015 年 5 月 4 日

浅谈日本茶道流派的现状

——以里千家为例

摘 要

众所周知茶道是日本传统文化之一。茶道的历史悠久,随着时代的变迁正慢慢的发生着变化。到了现代,日本茶道已经形成了几个流派。其中、与千利休居士密切相关的流派——里千家最为有名,已经成为日本现代茶道的代表流派之一。

早在明治初期,里千家十一代家元玄斋宗匠创立了「立礼式点茶法」。随后日本的学校教育中也增加了茶道的内容。而且,许多企业为了培养职员的修养,逐渐开始重视茶道教育。这样一来,从前只有极少数人才能学习的茶道,已经作为国民基本素养在全国普及。而且,随着现代的茶道礼法的发展,这一古老文化的修行渐渐深入人心。

现在的日本,茶道机构遍及全国。据说研习茶道的大约有四、五百万人之多,在这其中90%以上都是女性。而且,以日本茶道文化为主题的电影、电视、美术展等到处都是。从事与茶道相关工作的人也达到了数百万。

由里千家牵头,日本的茶道正逐渐向海外扩展。不仅是学习日语的人们,了解茶道的普通外国人也在增加。因为中日两国是一衣带水的邻国,所以文化交流十分频繁。特别是中国改革开放后,随着学习日语的人数增多,以此为契机,里千家流派也在中国进行了大量的茶道推广普及活动。例如,在中国的大学设立了茶室,或进行茶道讲座。

本论文中将对日本茶道流派进行介绍。其中以里千家为例,重点考察日本查到流派的现状。

关键词:日本茶道,流派,里千家,文化交流,影响

日本における茶道流派の現状について

——裏千家を中心に

要 旨

茶道は日本伝統文化の一つとして、知らない人はいないであろう。茶道は歴史が長いが、時代の移り変わりにより、尐しずつ変わってきた。現代に至って、日本の茶道ではいくつの流派が挙げられる。その内、千利休居士と関わった流派――裏千家は一番有名で、日本現代茶道の代表流派の一つとなった。

明治始め頃から、裏千家の11代目である元玄斎匠は「立礼式点茶法」を発明した。その後、日本の学校教育の中で茶道の内容が入れられた。そして、たくさんの企業は職員の教養を育成するために、茶道を重視するようになった。かくて、昔極尐数の人しか習うことのできない茶道は国民の基本的な素養として、全国に普及されるようになった。そして、茶道の現代的な作法が発展してくるにつれて、この古い稽古が徐々に人々の心に根づいた。

現在の日本では、茶道をする組織が全国に至る所にあるといえる。聞くところによると、茶道を学習する人数はおよそ四五百万人いるそうである。その内、90%以上は女性である。そして、日本茶道文化を中心とする映画やテレビ番組や美術展などがたくさんがある。茶道に関する仕事に従事する人も数百万人に達しているようである。 裏千家を主導として、日本の茶道は海外に広がりつつある。日本語を勉強する人達だけではなく、茶道を知り、習う普通の外国人も増えてきた。中日両国は一衣帯水の隣国なので、文化交流が盛んになってきた。特に、中国が改革開放後、日本語を勉強する人が多くなってきた。それをきっかけに、裏千家流派も中国において大量の茶道普及活動を押し広めたと言われている。例えば、中国の大学で茶室を設立したり、茶道講義を設置したりしたそうである。

本論文では、日本における各茶道流派について紹介してみた。その内、裏千家を例として、日本の各茶道流派の現状について述べてみた。

キーワード:日本茶道、流派、裏千家、文化交流、影響

目 次

摘 要 ................................................................................................... II 要 旨 ................................................................................................... II

はじめに ................................................................................................ 1

1 茶道とは ......................................................................................................... 1

2 先行研究 ......................................................................................................... 1

3 本研究の位置づけ ......................................................................................... 1

本 論 .................................................................................................... 2

1日本茶道について .......................................................................................... 2

1.1起源 . ............................................................................................................................ 2

1.2発展 . ............................................................................................................................ 2

2日本における各茶道流派の現状について . ................................................. 3

2.1裏千家 . ........................................................................................................................ 3

2.2表千家 . ........................................................................................................................ 3

2.3武者小路千家 . ............................................................................................................ 3

2.4日本茶道の精神 . ........................................................................................................ 4

3裏千家流派について ...................................................................................... 5

3.1歴史と発展 . ................................................................................................................ 5

3.2国際交流 . .................................................................................................................... 7

終わりに ................................................................................................ 9

注 釈 .................................................................................................. 10

参考文献 .............................................................................................. 11

謝 辞 .................................................................................................. 12

はじめに

1茶道とは

茶道とは、日本伝統の湯を沸かし、茶を点て、茶を振る舞う行為(茶の儀式)、また、それを基本とした様式と芸道のことである。日本で「三つの道」がとても有名である。いわゆる茶道、花道と書道である。茶道にはいろいろな厳しい決まりがある。例えば、茶碗の置き方、使い方、坐り方、話し方などに約束がある。その厳しい約束は日本人の几帳面な性格を表わしているのである。そして、茶道は日本の伝統文化として、日本国内だけでなく、海外で認識度が高い。

茶道の基本精神は日本では「和、敬、清、寂」であり、それらは日本人一生追求する精神でもある。日本語を勉強する私たちにとって、日本文化を理解するには不可欠なものだと言ってもいいであろう。

日本現代で有名な茶道流派は千利休居士と深い関係がある。その内、裏千家が一番有名で、大きな勢力を持っている。しかも、裏千家は日本茶道の千家流派の一つであり、残った二つは表千家と武者小路千家である。

2先行研究

茶道は日本の伝統的な文化の一つなので,茶道についての研究と紹介もとても多い。その中で、茶道文化の内包についての研究が全面的に展開してことがわかった。その次、茶文化と禅との関連性についての研究も多い。例えば,鈴木大拙の『禅と芸術』と千宗室の『「茶経」と日本茶道の歴史意義』といった本などが挙げられる。茶文化と禅文化の普及は日本文化の普及を実現することがでると思う。

3本研究の位置づけ

本論文は日本茶道流派に着目し、流派裏千家を例として、それらの流派の現状について、調査を行い分析してみたのである。この研究は日本茶道に興味を持っている方々に対して、参考になるだけではなく、茶道の革新というガイドラインに基づき論本を展開してみたのが新しいポイントである。

本 論

1日本茶道について

1.1起源

初めて中国から全面的な茶の知識を持ち込んだ書籍は唐の陸羽が(733年 - 804年)書いた『茶経』である。その本の中で、茶の木の育て方、収穫方法と道具、点て方、飲み方、歴史などが詳しく書かれている。『茶経』は最初の茶に関する百科全書と言われ、中国の茶文化が日本での広がりに大きな役割を果たした。日本は当時の遣唐使を通して中国茶を持ってきたが、貴重品扱いされていたために貴族や僧侶しか飲めなかったようである。

お茶の伝来はもう一つの重要な時期は中国の宋朝である。宋の時代には、遣宋使として派遣された最澄、空海等により日本にお茶の樹や種が伝わり、これから先、日本のお茶は独自の緑茶が出るようになった。日本の臨済宗の開祖栄西が、当時の中国(南宋) で主流となっていた茶、「抹茶」を日本へともたらしたとされている。栄西には、九州背振山などに茶樹を植えたとともに、京都栂尾高山寺の僧明恵に茶の種を贈ったと伝えられている。

1.2発展

中国の茶文化の歴史と比べると、日本の茶道の歴史はそんなに長くないと思われる。資料によると、お茶が日本に初めて入ってきたのは平安時代であった。その時の中国で留学していた僧侶の最澄よりお茶の苗を日本へ持ち帰ったそうである。奈良時代から貴族階級の間に喫茶の風習が始まった。その後、茶の木が近畿諸国をはじめ、各地に広く栽培された。鎌倉時代に栄西禅師をはじめ、沢山の禅僧が茶の製作方法と喫茶法を日本に伝えたことから茶道が流行ってきて、だんだん日本独特なものを入れた。喫茶の目的は鎌倉時代までは思想生活の伴侶として用いられたが(時には薬用)南北時代になると喫茶を遊戯的に用いた。つまり、闘茶として種類を飲み分ける競技の形で行なわれた。このような僧侶茶、武士茶は中国の茶文化から深い影響を受けた。 日本風の茶道が確立されたのは、十五世紀の末ごろ村田珠光氏である。村田珠光

氏はお茶を飲む行為に思想を導入した初めての人であり、日本茶道の祖先と言ってもよい。その後、武野紹鴎によりさらに広げた。日本の茶道の精神も「茶と禅が一体になる」のような境地になった。

千利休はもっと具体的かつ系統的な規則を定め茶道を庶民化にさせた。また茶会の種類、茶器の種類や茶室、庭の飾り方なども決めた。日本の茶道は今でも絶えず発展しているが茶道の基本的なものを決めたのはやはり千利休だ。でも茶道の大成については織田信長、豊臣秀吉の成果を無視してはならない。彼らは茶道を政治的に利用したが茶道に精神的な慰安を求めた。千利休は「謹敬清寂」を「和敬清寂」に変化させた。江戸時代に千利休の子孫と弟子が茶道を継続し「家元制度」を作り別の流派が現れた。千家流派は表千家、裏千家と武者小路千家三つの大きな流派になった。この時期は日本茶道の輝かしい時期であり、日本民族の特徴を持っている。また抹茶道、煎茶道も形成された。明治維新以来茶道に深刻な変化が現れ文化的な意味が強くなった。そして時代に応じて自国の特徴を持っていて今のようになった[注:1]。

2日本における各茶道流派の現状について

日本現代で有名な茶道流派は千利休居士と深い関係がある、その中、裏千家が一番有名で、日本茶道の発展と現状に大きな影響を及ぼしている。しかし、天正19年で秀吉の命令のために、千利休は聚楽屋敷内で切腹を余儀なくされた。千宗旦時期になって千家は再び賑わってきた。千宗旦は千利休の孫であるが、大きな業績をあげたため、彼は「千家中興の祖」と呼ばれている。しかし、千宗旦は世間から逃れて隠れ住んだ後、千家流派は初めて分裂した。最終の千家は三大流派からなり、これは「三千家」の由来である。

2.1裏千家

千家流派の重要な一つであり、始祖は千宗旦の末子――仙叟宗室である。裏千家は茶道を庶民化した。彼らは千宗旦の隠居所「今日庵」を受け継いだ。今日庵は不審庵の内側に位置しているので、不審庵は表千家と呼ばれているのに対して、今日庵は裏千家と呼ばれているのである。裏千家は薄茶をよく泡立てることと茶筅は白竹のものが特徴である。

2.2表千家

千家流派の一つ、始祖は千宗旦の三男――江岑宗左である。彼らの総堂茶室は「不審庵」。表千家は貴族階級サービスを提供してきたので、彼らは千利休が伝わってきた茶室とお茶の庭を受け継いだのである。正統閑寂茶のスタイルを維持した。表千家を象徴する茶室不審菴の号の由来は「不審花開今日春」の語に由来しており、財団法人不審菴が管理している。

2.3武者小路千家

千家流派の一つ、始祖は千宗旦の次子――翁宗守である。彼らの総堂茶室は「官休庵」。武者小路千家は「三千家」の中で最も小規模の流派である。宗家は京都市上京区武者小路通り小川東入にあるころから武者小路千家の名の由来となっている。

2.4日本茶道の精神

現在の茶道研究界では日本の茶道精神の解釈については主に三つに分けられている。つまり、和敬清寂、一期一会と茶禅一味である。これらの観念と禪の思想につながっている。

「和敬清寂」は茶道の四諦、四規、四則と呼ばれている。それは日本茶道の思想の中で最も大切な理念である。茶道の思想の主旨は主体の「無」、主体の絶対否定だけである。「無」の化身として、「和敬清寂」が現れたのである。それらは「無」から生まれた4つの現象である。この四つの抽象的な事物は茶道の各方面に現れている。例えば、茶室建築、お茶、道具、お茶のお菓子などである。

「一期一会」という言葉は江戸末期で最大の茶人の井伊弼の『茶の湯』から出たのである。茶道の世界と言えば「一期一会」のことなのである。それは一般的によく知られていることがある。 そして、意味もよく知られているように、一度きりの出会いを大切にしなさいということである。言ってしまえば簡単的なものであるが、この言葉を理解したと思っている時はきっとまだ理解していないに違いない。総ての出会いに感動と感謝の念を持つようになって初めてこの言葉の大切さを知ることになるからである。同じ客で、同じ道具で、同じ季節に茶会を開いたとしても、それでも二度と同じ会をすることは出来ない。今は今しかないのです。 交わした言葉、思った気持ち、笑顔などを全て尊しく思い、また自分の人生の一部になっている。人は生きている限りを一期一会で過ごすのである。茶道はきっとそのことにみんなに気づかせるのである。

「茶禅一味」は茶道でその精神の根幹に禅の教えを取り入れている。村田珠光が一休禅師に参禅し悟道したことが始まりと言われている。茶の湯の世界を戒めるために、茶道の本質に禅の教えを見出したのである。 これによって墨絵が主流だった掛軸は書道の墨蹟に代わり、鑑賞の対象だった道具もシンプルで詫びたものになり、「茶の湯」が精神的な教えをよりどころとする「茶道」に変わったのである。茶道を習うことはまさに禅の教えを学ぶことである。一杯のお茶、つまり日々の何気ないものの中にこそ仏が存在する、そういったことを珠光や利休は伝えたかったのかもしれない[注:2]。

3裏千家流派について

3.1歴史と発展

裏千家は千家流派の一つであり、始祖は千宗旦の末子――仙叟宗室である。歴代の家元は下記のようである。

3.2国際交流

千玄室は茶道裏千家家元15代の汎叟宗室であり、斎号は鵬云斋である。1923年4月19日に生まれた。1946年、千玄室は同誌社大学法学部の経済専攻を卒業した。太平洋戦争の間、大学で勉強している千宗室が入隊した、海軍飛行専修生の海軍士官を務めていた。戦争体験を通じて平和の尊さを痛感したゆえ、茶道事業に務めてから、千玄室は「一碗のお茶だけ、平和が出る」と述べた。目標に近づくために、千玄室は世界の平和のために巨大な努力した。1952年から、彼はハワイ大学を留学した後で、欧米国家に日本茶道文化を宣伝し、平和主義を伝えた。

現在、千玄室はハワイ大学歴史学部の教授と京都花園大学の教授に務めている。しかも、彼はアメリカSeton Hall大学、ロシアモスクワ大学の名誉博士と名誉教授の称号を授けられたのである。日本国内で国際ロータリー理事、文化庁の文化会議委員、京都府の公安委員会委員、京都市国際交流協会の理事長を務めている。1989年に、「文化功労者」の称号を獲得した。千玄室は国際文化交流のために巨大な努力したので、

「外務大臣表彰」を受けた。しかも、海外でたくさん国家の勲章と表彰を受けたようである。

千玄室は茶道の故郷——中国は深い感情を持っている、かつて裏千家茶道の道友を派遣した、60何度も中国を訪れた。中国の南開大学で博士の称号を受けた。しかも、天津で裏千家の茶道短期大学を成立した、中日文化交流の人材を育成している。千玄室は何度も北京の人民大会堂でお茶会を行った。中国指導者を接待した。中国政府の関係部門に「中日文化交流使者」の称号を授与された。

2014年11月15日、91歳の千玄室は天津中新社のインタビューを受けた。インタビューの中で、中国といえば千玄室は大変興奮している。しかも、中国の文学について彼は「三国志」が見ること好きである。これは「三国志」の中で、諸葛亮が大好きである。

今回、千玄室は中国を訪問したのは、天津の第九回「東ヤシヤお茶文化公開討論会」と「東ヤシヤの文化と平和座談会」を参加した。日本最大の茶道流派裏千家家元第15代として、千玄室はずっと「お茶と平和」を主張している。東ヤシヤの平和を呼び掛ける。これまでの長い間、中日文化友好交流事業に対して、千玄室はたくさんの努力をしてきた。1979年で初めて中国を訪問して以来、千玄室は何度も中国リーダ―に接待され、茶道の内容を解説したことがある。

「一碗のお茶だけ、平和が出る」を理念としている千玄室は、全世界において日本茶道文化の普及に努めていた。およそ60カ国を訪問し、その内、中日友好文化交流を促進するために、中日両国の国民の間に友好の懸け橋となるため、何度も中国を訪問したようである。特に、日本茶道が好きな中国の大学生のために、近年、千玄室は中国のたくさんの大学で茶道に関するコースを開設した。例えば、天津商学院で「天津商学院の裏千家茶道短期大学」を開設し、中日の文化交流に巨大的な貢献をした。

終わりに

現在の社会において、人々は体の健康と優雅な生活のスタイルを追求するようになっている。茶道は人の心を鍛える伝統的な文化として、人々の注目を引いている。茶道は中国より伝来され、長年にわたって日本独特の文化として発展してき、裏千家といったいくつかの流派に分けられている。現代に至って、それらの流派は茶道の精神と理念を守りつつある一方、一般化と国際化と徐々に変わってくるのがよく見られている。

この論文では、筆者は茶道、そして日本の茶道について簡単に紹介してみた上で、現在存在している日本茶道の流派について調べ紹介したのである。その内、裏千家を例として、伝統的な茶道流派の現状を紹介してみた。裏千家は茶道作法の革新を図るだけではなく、日本茶道を積極的に海外に伝え広げ、より多くの人々が茶道を好むようになるために、多大な努力したことが分かった。特に中国において、裏千家は茶道講座を行ったり、茶道教室を開いたり、そして、茶道の短期大学まで開設したりすることにより、中日両国友好と文化交流のために、巨大な貢献をしたと言えよう。

そして、裏千家が他の国に進出する状況と発展について研究を行うのが筆者これからの研究方向である。

注 釈

注1:(日)千玄室.日本茶道论[M].中国社会科学出版社,2004:183.

注2:(日)田中仙翁/译者:蔡敦达.茶道的美学—茶的精神和形式[M].南京大学出版社,2013:92.

参考文献

[1](日)千玄室.日本茶道论[M],中国社会科学出版社,2004,45-46

[2] 腾军.日本茶道文化概述[M],东方出版社,1992,33

[3](日)田中仙翁/译者:蔡敦达.茶道的美学—茶的精神和形式[M],南京大学出版社,

2013,50

[4](日)桑田忠亲/译者:汪平.茶道的历史[M],南京大学出版社,2011,44-48

[5] 千玄室.蒙福人生的欢喜 日本国际联合协会会长里千家前家元[M],文化艺术出版社,

2013,21

[6] 千玄左.裏千家茶の湯入門 [上册 風炉編] [M],主婦の友社,2001,60,73

[7] 戸田宗寛.裏千家茶道の入門[M],東都書房,1968,27

[8] 千宗室.裏千家歴代好物集[M],講談社,1977,51

[9] 千宗室.茶の湯 裏千家[M],主婦の友社,1966,11-20

[10] 茶道资料馆.近代茶道的轨迹[M],茶道资料馆,2002,8-10

謝 辞

この論文を書くにあたっては、**先生から非常に大きなご助力をいただきました。指導教官として、**先生にはこの論文について構想、主題、文章表現などで多くのご指摘をいただきました。先生のおかげで、卒業論文は無事に完成しました。ここに心から感謝の気持ちを表わしたいと思います。

忽略此处..

本科毕业设计(论文)

论文题目:浅谈日本茶道流派的现状

——以里千家为例

日本における茶道流派の現状について

——裏千家を中心に

系 所: 日语系

专 业:

学生姓名:

学生学号:

指导教师:

导师职称:

完成日期: 2015 年 5 月 4 日

浅谈日本茶道流派的现状

——以里千家为例

摘 要

众所周知茶道是日本传统文化之一。茶道的历史悠久,随着时代的变迁正慢慢的发生着变化。到了现代,日本茶道已经形成了几个流派。其中、与千利休居士密切相关的流派——里千家最为有名,已经成为日本现代茶道的代表流派之一。

早在明治初期,里千家十一代家元玄斋宗匠创立了「立礼式点茶法」。随后日本的学校教育中也增加了茶道的内容。而且,许多企业为了培养职员的修养,逐渐开始重视茶道教育。这样一来,从前只有极少数人才能学习的茶道,已经作为国民基本素养在全国普及。而且,随着现代的茶道礼法的发展,这一古老文化的修行渐渐深入人心。

现在的日本,茶道机构遍及全国。据说研习茶道的大约有四、五百万人之多,在这其中90%以上都是女性。而且,以日本茶道文化为主题的电影、电视、美术展等到处都是。从事与茶道相关工作的人也达到了数百万。

由里千家牵头,日本的茶道正逐渐向海外扩展。不仅是学习日语的人们,了解茶道的普通外国人也在增加。因为中日两国是一衣带水的邻国,所以文化交流十分频繁。特别是中国改革开放后,随着学习日语的人数增多,以此为契机,里千家流派也在中国进行了大量的茶道推广普及活动。例如,在中国的大学设立了茶室,或进行茶道讲座。

本论文中将对日本茶道流派进行介绍。其中以里千家为例,重点考察日本查到流派的现状。

关键词:日本茶道,流派,里千家,文化交流,影响

日本における茶道流派の現状について

——裏千家を中心に

要 旨

茶道は日本伝統文化の一つとして、知らない人はいないであろう。茶道は歴史が長いが、時代の移り変わりにより、尐しずつ変わってきた。現代に至って、日本の茶道ではいくつの流派が挙げられる。その内、千利休居士と関わった流派――裏千家は一番有名で、日本現代茶道の代表流派の一つとなった。

明治始め頃から、裏千家の11代目である元玄斎匠は「立礼式点茶法」を発明した。その後、日本の学校教育の中で茶道の内容が入れられた。そして、たくさんの企業は職員の教養を育成するために、茶道を重視するようになった。かくて、昔極尐数の人しか習うことのできない茶道は国民の基本的な素養として、全国に普及されるようになった。そして、茶道の現代的な作法が発展してくるにつれて、この古い稽古が徐々に人々の心に根づいた。

現在の日本では、茶道をする組織が全国に至る所にあるといえる。聞くところによると、茶道を学習する人数はおよそ四五百万人いるそうである。その内、90%以上は女性である。そして、日本茶道文化を中心とする映画やテレビ番組や美術展などがたくさんがある。茶道に関する仕事に従事する人も数百万人に達しているようである。 裏千家を主導として、日本の茶道は海外に広がりつつある。日本語を勉強する人達だけではなく、茶道を知り、習う普通の外国人も増えてきた。中日両国は一衣帯水の隣国なので、文化交流が盛んになってきた。特に、中国が改革開放後、日本語を勉強する人が多くなってきた。それをきっかけに、裏千家流派も中国において大量の茶道普及活動を押し広めたと言われている。例えば、中国の大学で茶室を設立したり、茶道講義を設置したりしたそうである。

本論文では、日本における各茶道流派について紹介してみた。その内、裏千家を例として、日本の各茶道流派の現状について述べてみた。

キーワード:日本茶道、流派、裏千家、文化交流、影響

目 次

摘 要 ................................................................................................... II 要 旨 ................................................................................................... II

はじめに ................................................................................................ 1

1 茶道とは ......................................................................................................... 1

2 先行研究 ......................................................................................................... 1

3 本研究の位置づけ ......................................................................................... 1

本 論 .................................................................................................... 2

1日本茶道について .......................................................................................... 2

1.1起源 . ............................................................................................................................ 2

1.2発展 . ............................................................................................................................ 2

2日本における各茶道流派の現状について . ................................................. 3

2.1裏千家 . ........................................................................................................................ 3

2.2表千家 . ........................................................................................................................ 3

2.3武者小路千家 . ............................................................................................................ 3

2.4日本茶道の精神 . ........................................................................................................ 4

3裏千家流派について ...................................................................................... 5

3.1歴史と発展 . ................................................................................................................ 5

3.2国際交流 . .................................................................................................................... 7

終わりに ................................................................................................ 9

注 釈 .................................................................................................. 10

参考文献 .............................................................................................. 11

謝 辞 .................................................................................................. 12

はじめに

1茶道とは

茶道とは、日本伝統の湯を沸かし、茶を点て、茶を振る舞う行為(茶の儀式)、また、それを基本とした様式と芸道のことである。日本で「三つの道」がとても有名である。いわゆる茶道、花道と書道である。茶道にはいろいろな厳しい決まりがある。例えば、茶碗の置き方、使い方、坐り方、話し方などに約束がある。その厳しい約束は日本人の几帳面な性格を表わしているのである。そして、茶道は日本の伝統文化として、日本国内だけでなく、海外で認識度が高い。

茶道の基本精神は日本では「和、敬、清、寂」であり、それらは日本人一生追求する精神でもある。日本語を勉強する私たちにとって、日本文化を理解するには不可欠なものだと言ってもいいであろう。

日本現代で有名な茶道流派は千利休居士と深い関係がある。その内、裏千家が一番有名で、大きな勢力を持っている。しかも、裏千家は日本茶道の千家流派の一つであり、残った二つは表千家と武者小路千家である。

2先行研究

茶道は日本の伝統的な文化の一つなので,茶道についての研究と紹介もとても多い。その中で、茶道文化の内包についての研究が全面的に展開してことがわかった。その次、茶文化と禅との関連性についての研究も多い。例えば,鈴木大拙の『禅と芸術』と千宗室の『「茶経」と日本茶道の歴史意義』といった本などが挙げられる。茶文化と禅文化の普及は日本文化の普及を実現することがでると思う。

3本研究の位置づけ

本論文は日本茶道流派に着目し、流派裏千家を例として、それらの流派の現状について、調査を行い分析してみたのである。この研究は日本茶道に興味を持っている方々に対して、参考になるだけではなく、茶道の革新というガイドラインに基づき論本を展開してみたのが新しいポイントである。

本 論

1日本茶道について

1.1起源

初めて中国から全面的な茶の知識を持ち込んだ書籍は唐の陸羽が(733年 - 804年)書いた『茶経』である。その本の中で、茶の木の育て方、収穫方法と道具、点て方、飲み方、歴史などが詳しく書かれている。『茶経』は最初の茶に関する百科全書と言われ、中国の茶文化が日本での広がりに大きな役割を果たした。日本は当時の遣唐使を通して中国茶を持ってきたが、貴重品扱いされていたために貴族や僧侶しか飲めなかったようである。

お茶の伝来はもう一つの重要な時期は中国の宋朝である。宋の時代には、遣宋使として派遣された最澄、空海等により日本にお茶の樹や種が伝わり、これから先、日本のお茶は独自の緑茶が出るようになった。日本の臨済宗の開祖栄西が、当時の中国(南宋) で主流となっていた茶、「抹茶」を日本へともたらしたとされている。栄西には、九州背振山などに茶樹を植えたとともに、京都栂尾高山寺の僧明恵に茶の種を贈ったと伝えられている。

1.2発展

中国の茶文化の歴史と比べると、日本の茶道の歴史はそんなに長くないと思われる。資料によると、お茶が日本に初めて入ってきたのは平安時代であった。その時の中国で留学していた僧侶の最澄よりお茶の苗を日本へ持ち帰ったそうである。奈良時代から貴族階級の間に喫茶の風習が始まった。その後、茶の木が近畿諸国をはじめ、各地に広く栽培された。鎌倉時代に栄西禅師をはじめ、沢山の禅僧が茶の製作方法と喫茶法を日本に伝えたことから茶道が流行ってきて、だんだん日本独特なものを入れた。喫茶の目的は鎌倉時代までは思想生活の伴侶として用いられたが(時には薬用)南北時代になると喫茶を遊戯的に用いた。つまり、闘茶として種類を飲み分ける競技の形で行なわれた。このような僧侶茶、武士茶は中国の茶文化から深い影響を受けた。 日本風の茶道が確立されたのは、十五世紀の末ごろ村田珠光氏である。村田珠光

氏はお茶を飲む行為に思想を導入した初めての人であり、日本茶道の祖先と言ってもよい。その後、武野紹鴎によりさらに広げた。日本の茶道の精神も「茶と禅が一体になる」のような境地になった。

千利休はもっと具体的かつ系統的な規則を定め茶道を庶民化にさせた。また茶会の種類、茶器の種類や茶室、庭の飾り方なども決めた。日本の茶道は今でも絶えず発展しているが茶道の基本的なものを決めたのはやはり千利休だ。でも茶道の大成については織田信長、豊臣秀吉の成果を無視してはならない。彼らは茶道を政治的に利用したが茶道に精神的な慰安を求めた。千利休は「謹敬清寂」を「和敬清寂」に変化させた。江戸時代に千利休の子孫と弟子が茶道を継続し「家元制度」を作り別の流派が現れた。千家流派は表千家、裏千家と武者小路千家三つの大きな流派になった。この時期は日本茶道の輝かしい時期であり、日本民族の特徴を持っている。また抹茶道、煎茶道も形成された。明治維新以来茶道に深刻な変化が現れ文化的な意味が強くなった。そして時代に応じて自国の特徴を持っていて今のようになった[注:1]。

2日本における各茶道流派の現状について

日本現代で有名な茶道流派は千利休居士と深い関係がある、その中、裏千家が一番有名で、日本茶道の発展と現状に大きな影響を及ぼしている。しかし、天正19年で秀吉の命令のために、千利休は聚楽屋敷内で切腹を余儀なくされた。千宗旦時期になって千家は再び賑わってきた。千宗旦は千利休の孫であるが、大きな業績をあげたため、彼は「千家中興の祖」と呼ばれている。しかし、千宗旦は世間から逃れて隠れ住んだ後、千家流派は初めて分裂した。最終の千家は三大流派からなり、これは「三千家」の由来である。

2.1裏千家

千家流派の重要な一つであり、始祖は千宗旦の末子――仙叟宗室である。裏千家は茶道を庶民化した。彼らは千宗旦の隠居所「今日庵」を受け継いだ。今日庵は不審庵の内側に位置しているので、不審庵は表千家と呼ばれているのに対して、今日庵は裏千家と呼ばれているのである。裏千家は薄茶をよく泡立てることと茶筅は白竹のものが特徴である。

2.2表千家

千家流派の一つ、始祖は千宗旦の三男――江岑宗左である。彼らの総堂茶室は「不審庵」。表千家は貴族階級サービスを提供してきたので、彼らは千利休が伝わってきた茶室とお茶の庭を受け継いだのである。正統閑寂茶のスタイルを維持した。表千家を象徴する茶室不審菴の号の由来は「不審花開今日春」の語に由来しており、財団法人不審菴が管理している。

2.3武者小路千家

千家流派の一つ、始祖は千宗旦の次子――翁宗守である。彼らの総堂茶室は「官休庵」。武者小路千家は「三千家」の中で最も小規模の流派である。宗家は京都市上京区武者小路通り小川東入にあるころから武者小路千家の名の由来となっている。

2.4日本茶道の精神

現在の茶道研究界では日本の茶道精神の解釈については主に三つに分けられている。つまり、和敬清寂、一期一会と茶禅一味である。これらの観念と禪の思想につながっている。

「和敬清寂」は茶道の四諦、四規、四則と呼ばれている。それは日本茶道の思想の中で最も大切な理念である。茶道の思想の主旨は主体の「無」、主体の絶対否定だけである。「無」の化身として、「和敬清寂」が現れたのである。それらは「無」から生まれた4つの現象である。この四つの抽象的な事物は茶道の各方面に現れている。例えば、茶室建築、お茶、道具、お茶のお菓子などである。

「一期一会」という言葉は江戸末期で最大の茶人の井伊弼の『茶の湯』から出たのである。茶道の世界と言えば「一期一会」のことなのである。それは一般的によく知られていることがある。 そして、意味もよく知られているように、一度きりの出会いを大切にしなさいということである。言ってしまえば簡単的なものであるが、この言葉を理解したと思っている時はきっとまだ理解していないに違いない。総ての出会いに感動と感謝の念を持つようになって初めてこの言葉の大切さを知ることになるからである。同じ客で、同じ道具で、同じ季節に茶会を開いたとしても、それでも二度と同じ会をすることは出来ない。今は今しかないのです。 交わした言葉、思った気持ち、笑顔などを全て尊しく思い、また自分の人生の一部になっている。人は生きている限りを一期一会で過ごすのである。茶道はきっとそのことにみんなに気づかせるのである。

「茶禅一味」は茶道でその精神の根幹に禅の教えを取り入れている。村田珠光が一休禅師に参禅し悟道したことが始まりと言われている。茶の湯の世界を戒めるために、茶道の本質に禅の教えを見出したのである。 これによって墨絵が主流だった掛軸は書道の墨蹟に代わり、鑑賞の対象だった道具もシンプルで詫びたものになり、「茶の湯」が精神的な教えをよりどころとする「茶道」に変わったのである。茶道を習うことはまさに禅の教えを学ぶことである。一杯のお茶、つまり日々の何気ないものの中にこそ仏が存在する、そういったことを珠光や利休は伝えたかったのかもしれない[注:2]。

3裏千家流派について

3.1歴史と発展

裏千家は千家流派の一つであり、始祖は千宗旦の末子――仙叟宗室である。歴代の家元は下記のようである。

3.2国際交流

千玄室は茶道裏千家家元15代の汎叟宗室であり、斎号は鵬云斋である。1923年4月19日に生まれた。1946年、千玄室は同誌社大学法学部の経済専攻を卒業した。太平洋戦争の間、大学で勉強している千宗室が入隊した、海軍飛行専修生の海軍士官を務めていた。戦争体験を通じて平和の尊さを痛感したゆえ、茶道事業に務めてから、千玄室は「一碗のお茶だけ、平和が出る」と述べた。目標に近づくために、千玄室は世界の平和のために巨大な努力した。1952年から、彼はハワイ大学を留学した後で、欧米国家に日本茶道文化を宣伝し、平和主義を伝えた。

現在、千玄室はハワイ大学歴史学部の教授と京都花園大学の教授に務めている。しかも、彼はアメリカSeton Hall大学、ロシアモスクワ大学の名誉博士と名誉教授の称号を授けられたのである。日本国内で国際ロータリー理事、文化庁の文化会議委員、京都府の公安委員会委員、京都市国際交流協会の理事長を務めている。1989年に、「文化功労者」の称号を獲得した。千玄室は国際文化交流のために巨大な努力したので、

「外務大臣表彰」を受けた。しかも、海外でたくさん国家の勲章と表彰を受けたようである。

千玄室は茶道の故郷——中国は深い感情を持っている、かつて裏千家茶道の道友を派遣した、60何度も中国を訪れた。中国の南開大学で博士の称号を受けた。しかも、天津で裏千家の茶道短期大学を成立した、中日文化交流の人材を育成している。千玄室は何度も北京の人民大会堂でお茶会を行った。中国指導者を接待した。中国政府の関係部門に「中日文化交流使者」の称号を授与された。

2014年11月15日、91歳の千玄室は天津中新社のインタビューを受けた。インタビューの中で、中国といえば千玄室は大変興奮している。しかも、中国の文学について彼は「三国志」が見ること好きである。これは「三国志」の中で、諸葛亮が大好きである。

今回、千玄室は中国を訪問したのは、天津の第九回「東ヤシヤお茶文化公開討論会」と「東ヤシヤの文化と平和座談会」を参加した。日本最大の茶道流派裏千家家元第15代として、千玄室はずっと「お茶と平和」を主張している。東ヤシヤの平和を呼び掛ける。これまでの長い間、中日文化友好交流事業に対して、千玄室はたくさんの努力をしてきた。1979年で初めて中国を訪問して以来、千玄室は何度も中国リーダ―に接待され、茶道の内容を解説したことがある。

「一碗のお茶だけ、平和が出る」を理念としている千玄室は、全世界において日本茶道文化の普及に努めていた。およそ60カ国を訪問し、その内、中日友好文化交流を促進するために、中日両国の国民の間に友好の懸け橋となるため、何度も中国を訪問したようである。特に、日本茶道が好きな中国の大学生のために、近年、千玄室は中国のたくさんの大学で茶道に関するコースを開設した。例えば、天津商学院で「天津商学院の裏千家茶道短期大学」を開設し、中日の文化交流に巨大的な貢献をした。

終わりに

現在の社会において、人々は体の健康と優雅な生活のスタイルを追求するようになっている。茶道は人の心を鍛える伝統的な文化として、人々の注目を引いている。茶道は中国より伝来され、長年にわたって日本独特の文化として発展してき、裏千家といったいくつかの流派に分けられている。現代に至って、それらの流派は茶道の精神と理念を守りつつある一方、一般化と国際化と徐々に変わってくるのがよく見られている。

この論文では、筆者は茶道、そして日本の茶道について簡単に紹介してみた上で、現在存在している日本茶道の流派について調べ紹介したのである。その内、裏千家を例として、伝統的な茶道流派の現状を紹介してみた。裏千家は茶道作法の革新を図るだけではなく、日本茶道を積極的に海外に伝え広げ、より多くの人々が茶道を好むようになるために、多大な努力したことが分かった。特に中国において、裏千家は茶道講座を行ったり、茶道教室を開いたり、そして、茶道の短期大学まで開設したりすることにより、中日両国友好と文化交流のために、巨大な貢献をしたと言えよう。

そして、裏千家が他の国に進出する状況と発展について研究を行うのが筆者これからの研究方向である。

注 釈

注1:(日)千玄室.日本茶道论[M].中国社会科学出版社,2004:183.

注2:(日)田中仙翁/译者:蔡敦达.茶道的美学—茶的精神和形式[M].南京大学出版社,2013:92.

参考文献

[1](日)千玄室.日本茶道论[M],中国社会科学出版社,2004,45-46

[2] 腾军.日本茶道文化概述[M],东方出版社,1992,33

[3](日)田中仙翁/译者:蔡敦达.茶道的美学—茶的精神和形式[M],南京大学出版社,

2013,50

[4](日)桑田忠亲/译者:汪平.茶道的历史[M],南京大学出版社,2011,44-48

[5] 千玄室.蒙福人生的欢喜 日本国际联合协会会长里千家前家元[M],文化艺术出版社,

2013,21

[6] 千玄左.裏千家茶の湯入門 [上册 風炉編] [M],主婦の友社,2001,60,73

[7] 戸田宗寛.裏千家茶道の入門[M],東都書房,1968,27

[8] 千宗室.裏千家歴代好物集[M],講談社,1977,51

[9] 千宗室.茶の湯 裏千家[M],主婦の友社,1966,11-20

[10] 茶道资料馆.近代茶道的轨迹[M],茶道资料馆,2002,8-10

謝 辞

この論文を書くにあたっては、**先生から非常に大きなご助力をいただきました。指導教官として、**先生にはこの論文について構想、主題、文章表現などで多くのご指摘をいただきました。先生のおかげで、卒業論文は無事に完成しました。ここに心から感謝の気持ちを表わしたいと思います。

忽略此处..


相关文章

  • 中国茶的传播对世界茶文化的影响研究综述
  • 中国茶的传播对世界茶文化的影响研究综述 摘要:中国是最早发现茶叶并开始制茶.饮茶的国家.在历史发展过程中,中国茶叶种类不断增多,制茶技术不断进步,并且茶叶和制茶技术及其所特有的茶文化也逐渐流传到世界各地,对世界茶文化产生了重要的影响.本文主 ...查看


  • 日本铁壶堂号的历史脉络简介
  • 日本铁壶堂号的历史脉络简介 日本铁壶分为南部壶与京都壶两派,其中南部壶是日本寻常人家的日用品,配以铁盖子.而京都壶则属于收藏品的范畴,工艺精致,以龟文堂.龙文堂.金寿堂.光玉堂四大堂号为代表. 明治时期是日本铁壶的辉煌时期,星光璀璨:龙文堂 ...查看


  • 浅谈中国茶文化的特性
  • 摘 要:中国茶文化博大精深,意蕴深厚.中华茶文化因时代不同,茶类不同而形成不同类型的茶道和仪式,并不刻意追求繁文缛节,而是着意于品尝和发挥各种茶类的色香韵味,追求一种融洽宽松的气氛,达到"释躁平矜,怡情悦性"的精神境界. ...查看


  • 空手道在中国的传播及发展现状
  • 第27卷第1期 2008年1月 军事体育进修学院学报 JournalofPLAInstituteofPhysicalEducation Vol.27 No.1Jan.2008 空手道在中国的传播及发展现状 张宏春 陈 卓 (军事体育进修学院 ...查看


  • 中国茶文化论文之浅谈
  • 中国茶文化 摘要:中国茶文化源远流长,博大精深,为中华民族之国粹.茶文化是中华传统优秀文化的组成部分,其中内容十分丰富.茶文化之核心为茶道,茶道是东方文化的精华,其核心为和,具有深远的哲思.中国器物文化能上升到道的层次的唯有茶文化,茶道是茶 ...查看


  • 浅谈日本的茶道文化
  • Intemetfortune・CulturalStudies "浅谈日本的茶道文化 高 燕 (天津对外经济贸易职业学院,天津300221) [摘要]日本在受到我国茶文化的深远影响下,发展了具有自己民族特色的茶文化--茶道.日本茶道 ...查看


  • 茶文化在城市发展中的作用
  • 云南普洱市茶文化在城市发展中的作用 摘要:我国是茶叶的祖国,茶文化研究与发展随着茶叶事业的发展而深入. 茶文化内容丰富,其"茶逾 是茶文化的核心.本文从茶文化的内涵.形成及特点简述了茶文化的基本情况:从近期普洱市茶文化发展动态说明 ...查看


  • 中国传统文化手抄报资料:中国传统文化对日本的影响
  • 影响日本文化 日本文化在古代奈良时代前期到平安时代前期,强烈受到中国的影响.在奈良时代派遣遣唐使到唐朝留学,在平安时代开始发展了独特的学术,尤以儒学影响最大,江户时代有出现不少儒学者.后来,于平安时代后期(894年)由于停止派遣遣唐使以及在 ...查看


  • 我对美食文化的理解
  • 我对美食文化的理解 一. 日本饮食文化的特点 中国对日本的文化感觉,好似男人与男人或女人对女人,有一种同类感.日中交流了数千年,正因为"一衣带水",隔海相望.舟船往来,互通有无.东方世界中,再没有其他国家像中日这样有如此 ...查看


热门内容